ブレない自分軸を保つ基礎の話

スピリチュアル

みなさんが自分軸を保とうとしても、多くの人は自分軸を保てているつもりなだけで保ててないのです。「他人の評価を気にしない」という一大テーマも自分軸っゲットに必要ですが、それだけでは片手間です。それ以外の根本となる自分軸を極める思想をお話ししましょう。

・自分本来の体感や直感に重きを置く

・自己の肯定

・解釈の自由

このうちの一つ目について話します。

自分本来の体感や直感を大事にすることは具体的にどういうことなのか。なぜそれが自分軸を保つことになるのかお伝えします。

ファンタはうまいのか コーラはうまいのか 初めて飲んだ時の感覚って覚えてますか?

本当に「うまい」と思ったのか正直 ビビったのか どちらもあるとは思います。あなたの体感から「これこそ求めてた味!」と感じるならいいのですが、あなたの体感から本当にそれが「うまい」と思ったのではなくウマイことが前提な演出のCMから「うまい」と思わされてるのではないでしょうか?
盲点ですが、ここが自分軸ではなく他人軸に傾いてる場面なのです。
Aさんが初めのファンタ飲んだ時の感想は「うわっ甘すぎ」とか「少しくどい」かな?など思いました。しかしファンタを片手に青春を謳歌する若者のCMやみんながおいしそうに飲んでるのを見て 自分オリジナルの感想を忘れ「若者なら飲むんだ」「青春の素敵なイメージを残したままなんとなくファンタを飲んで満足してしまってるっていう状態は危ないんです。

ファンタが最初から旨いと感じたならいいのですが、旨いと感じて喜べない自分は「どこかおかしいのか、」「「旨いと思えるようにならなきゃ」となってしまってませんか?

まるで、絶対普遍の基準がどこかにあって、自分はそれに近づけてないんだと追い求めてるようではないですか?

基本自分軸を知っている人であれば
あの子に嫌われる・・・という特定の人の「他人の評価」を気にしててはいけない!とまでは分かってるんですが

自分は何らかの基準に足りてないかも・・自分は間違ってるかも・・あれやったらダメかも・・・

まるで誰かに監視されているようですね。「匿名性のある権力」を作ってるのですがこれについてはまた解説します。

そして、「世の中諸行無常で絶対普遍のものや基準や法則は ない」くらいにはみんな建前としてだけ知っているのですが、この感覚を意識して行動に移す人は少ないのです。

給食に出る牛乳なども、カルシウムがとれて小中学生には絶対健康的で飲むものと信じられていますよね。アレルギーならともかく、「健康にいいからどんどん飲め」という思想でした。小さいころからそれがベストだからと 一日三食食って家族で健康になるとか、たいそう座り然り言い聞かされましたよね。三食食うと体を休めずに不健康になる人も出ますし。本当はたいそう座りなんて肉体には悪いです。

私は健康と思われているものの「真実」を知らないこと自体はさほど問題ないと思ってます。

しかし

牛乳やヨーグルトは原則全ての人に良いっていうイメージのままそれを鵜吞みにし「健康になるにはこれが一番」とか「とにかく飲むもんだ」と思って飲んでませんか?
はーい!自分軸タイムですよ!ここでも自分の体感や感覚を意識すべき時なんです。一般論が自分にも適応されてると思うなや!

本当に飲んで元気になってるならあなたにあってます。しかし飲んで効果がないならただの嗜好品の域からでないですし、それで体調が悪いならあなたにはあってないのです。全部個人差なのです。

なぜ全員共通の法則があると思ってるのでしょう。学校の大人が言うだから正しいとか、専門家が、栄養士が、医者が・・っていう感じに自分で自分の体を見る責任があるのにその責任放り投げて提供された考えをそのまま受け取ってますよね。だからお望みどおり操られます。

「専門家じゃないし、知識ないから自分で判断できないわ」・・・。じゃない!
自分の体の感覚をつかんでいく必要があるのです。飲んで 自分が 快か不快か この抽象的な考えでも、割と真実を突いてるんです。なんとなく自分の体は受け入れてるな・・・とか嫌がってるな…とかわかるでしょ。野性っぽい感覚ですがね。
「自分のことは分からないから、どうすればいいかを教えて安心させてくれる方に任せます。」をしてると快か不快かその単純な感覚すら薄れていき、自分のことなのに自分の感覚が分からなくなるんです。

ニュースを見るときも「私が社会に送れないように外界の世界の情報をください。そして情報の捉え方もください」
と、最初から足りなくて弱小な自分に、自分より上と感じられる存在が与えてくる思考と融合することでやっと基準値ラインや安全地帯にたどり着けると思い込んでるんです。

・「自分は何か足りなくて自分以外から足りないのを補わないと成長できない」という考えが根底にあるから

・「自分に自信が無くて、安心したいから」

喜んで洗脳されにいくんです。

変な例えをすれば

「お前は常に不健康で健康にならねばならない。その方法は俺様が言った通りのことをしろ。飴を食べればお前は健康になれるぞ」と洗脳されて 皆必死に飴を探してるってことです。バカですよね。

この思想の根底は 「自分には何かが足りないから 自分より上そうな人間が出した 情報なら もう何でもいい きっと救われるはず 」になってるんです。
「自分は足りなくて餓えている状態だ どの手段でもいいから藁にすがりたい」という心理状態を自分で作るような愚行をしなければある程度冷静に判断できますよね。飴で健康になるってなんか自分は実践したくないし、ほかにも健康食品になるものあるでしょ。と分かるはずです。

このような「自分は何か足りなくて補わなきゃ」という感覚を消すと自然と自分軸が強くなります。ニュートラルにしていれば「自分は足りてない存在だ」と思うことはないんです。だからこそ「嘘だな」とか「自分には合わないな」「自分にはもっといい方法あるな」とすぐに自分にとっての真実がわかるようになります。

「自分じゃ自分のことは管理できない 脆弱な自分の判断じゃ自信がない、「立派な」人に頼ろう・・・」この思考の行き着く先が お医者さんなら正しいことしてるはずという思い込みで無垢な心でチンワク受けに入った末路じゃないでしょうかね?

 

「自分以外の大勢が信じていることを信じる」より、「自分の直感や目で見たものを信じたほうがよっぽど生きてる感覚になる」と割り切ったほうがブレなくなります。

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