高次元の存在からの導きが欲しいと思ってるやつ、高次元の存在と融合して安心したいと思ってるやつ、あなたはマゾです!
今まで頑張って勉強したんだろうが、スピリチュアルから何も学んでない、何も洗脳から出れてない証拠だ!神を承認欲求の替え玉にしてるやつ今すぐ耳穴かっぽじって聞け。
・スピリチュアルを学べば神仏や高次元の存在が真の境地へと自分を導き、今までとは違う自分になれるかもと思ってる方
・また、現実世界では理解されないけど、高次元の存在は自分をわかってくれるはずだから・・・
・またまた、無力な自分でも高次元の存在の望みや宇宙の真理を学ぶことで神に近い新しい自分に生まれかわるかも…
そう思ってる方は
自分以外の権威ある存在へのつながりがほしくて高次元の存在におもねろうとしてるだけです。
率直な結論です。承認欲求の代用として神様や天使、守護霊の高次元の存在にあこがれを持っているのなら、高次元の存在なんて捨てましょう。
そして自分を真に肯定するものは自分しかないと分かって生きほしい。
「自分より高次元の存在のほうがすごい」 だからそこに近づきたいと、無意識に思っている方へ
考えてもみてください
あなたは究極の自己否定と神への従属を行っているのです。
今までの自分の中にあるものは正しい境地にいたれてないと考えてるあなたは 今ある自分を否定し自分の人生をあれこれ指示してくれる存在に依存することでやっと何かが成し遂げられるという考えを根底に持っているのです。
高次元の存在が人間に求めてくる 模範的な姿や真実の愛、正義 真実 それを理解しない自分であることに何の問題があるでしょうか?
高次元の存在が期待するものを人間に押し付ける 貴方の信じているものは 光の顔をした ただの支配者ですよ。
もしも 全知全能で真の愛を理解できる高次元の存在が本当にいるのであれば、
例えばあなたが全然神の期待に応えないし、真理も何も知らないし、ましてや享楽にふけっていようが 「ありのままのあなたを肯定してくれるはず」となぜ考えない?
別にね、神さまとかが人間に期待する模範を守ってなかろうが 神は「人間のどの姿も愛する」っていう発想をなぜしないんだい?
あなたの信じてる 「人間をなんかの基準で測るような神様」なんて狭量すぎん?
そんな神いらねえよな!はいゴミ箱行き決定!
肯定されようとして、「神の期待に沿った人間」という「模範の型」に入ってどうする。
自分が今 手に入れてない触れたいことのない 外の世界に真理があるっておもってること
それは自分が今まで持ってきたものの否定と現実逃避になる。
自分のありのままさを消して宇宙や神が望む自分に矯正して、何の意味があるよ。
自己否定と神への従属の行き着く先は、自身への無力感とカリスマへの依存を呼び起こす。
自己否定は自分の中にあるものに価値を置かずに外にあるものだけに価値を置いており、自分のアイデンティティや価値を消し去ります。自分を愛せずに高次元の光の存在だなんだどうでもいいけど(全能の存在と思えるもの)にホイホイ服従する精神の準備体操みたいなもんなんですよ。
「自己否定」と「絶対普遍と信じるものへ服従して安心感を得る状況」は ドMホイホイさ。
宗教は人々の凝集性を高めるためにあるもの。集合表象。
支配者層の人間が 被支配層に自由に自分の望む方向に飛んでってしまうことがないように、画一的で統一的な思想を共同体で意識させることによって人々を誘導しやすいようにまとめるために作ったもの。
本当のスピとは、スピリットをみること 自分という個の魂をしっかり認識して、自分に素直になって自分を肯定することです。
神や高次元の存在に受け入れられることで自分の存在が自分の人生が意味あるものになるなんて思ってるのは洗脳宗教です。昔ながらの宗教と今のスピリチュアルは洗脳する規模や伝道者が人々を洗脳しても「伝道者には何のメリットもない」が今と昔で違うだけで、人々の思想や目指す方向を画一化するという観点からは何も宗教から抜け出せてませーん!おっけ?
大事なので守護霊や高次元の存在とどうかかわっていくべきかは、また今度話します。今の話をまとめると
守護霊のために自分が染まるのではなく、
ありのままの自分の望みに走っていく貴方に感銘を受けて一緒に山登りがしたいと考える友達なのが守護霊だよ
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