二極化ってどうなる?

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最近よく聞く2極化!これぼんやりとした内容ばかりで、結局どうやって2極化が発生するのか分かりませんよね。そもそも好きな次元に行けるのかも含めてよくわからない方も多いだろうので

霊視したら驚きの結果が出ました!

なんと「自動的な2極化の振り分けはおきませんステージも変わりません。好きな次元にいける権利を持つのは自分の興味次第でしかない
と出てきました。

いったいこの世界はどうなっちゃうのか解説します。

 

その前に一般的な二極化のイメージをご存じない方のために簡単に言うと

マスコミが作るウソ、隠ぺいされた悪事、四角四面の世界から目覚めて新たな世界へ行こうとする人が行く5次元

いつまでもマスコミを信じて騙され奴隷のように動かされ続けるマトリックスの住人が行く3次元

一人一人どこに住むか振り分けられ階層が分かれてさえしまえば、幸せに5次元住人暮らせる・・・めでたし めでたし

というのが一般的なイメージですね。

ごめん!違うわ

霊視すると

まずまず超越的な神様みたいな存在はいないから、
「目が覚めたら3次元に行くか5次元い行くかを一人一人振り分けられてた」は起きません。先ほどいった通り住む場所も特に変わらないです。

そしてお互いが干渉できないようにする不可侵協定の壁も無いから、待ってるだけでは正直何もなにかが変わったことが体感できずに終わります。いちおう風の時代と言われてるので5次元的な言い方をする人は追い風状態になるので上手く生きやすい状態にはなりますが

この状態で

  • 「自動的な振り分けがないなら 何が二極化で、どうやって2極化が発生すんの!?」
  • 「いきたい5次元に行くにはどうすればいい?」

というとことを解説します。

すこし抽象的なんですが

2極化の発生については

3次元も5次元同じ人間でも、お互い「趣味嗜好、価値観、目指すべきもの」がガラッと変わって 今までの共通項の部分がガンガン減ってくから 実質3次元の人も5次元の人もお互いが干渉しあうことが少なくなるので2極化するといえます。

そして5次元に行くには エーリッヒ・フロム的な匂いのする話になりますが

  • 自由から逃げるか、自由を追い求めるか 
  • 精神的に孤独でも自分に誇りをもって生きれるか 

の覚悟の違いです。

ではこれから

2極化においてどうやって振り分けされるのかのプロセスを説明します。

例えば3次元に住む可能性を持つ人が3次元世界に腰を下ろして固まったとします。
その人の何の行動が3次元に行くかを決めるかというと

3次元に腰を下ろす人は新たな価値を見つけ出す探求を放棄して諦め 今までの支配システムを潤滑にするためだけの社会規範の中の「これこそが良い」と言われ賛美されていた価値にいつまでも縋りついて生きるだけの変わろうとしない人です。  

どういうことかというと

マスコミや社会が提示してきた情報、規範や道徳を信じて生きてきたのに、もし「それは全部間違いでした!」と言われても素直に信じて、
「じゃあこれから自分で情報探します。規範に騙されないようにします。」とかいって変わりますか?

だいたい変われない人は3パターンあって

そういうものにがんじがらめになってる人は、否定されて揺らいだ気持ちを かき消して忘れるように さらに喜んで今までの権威的なモノに服従して自分が信じてるものを賛美しますよね。

それか信じてたものが消えることで生きる意味を見失い自暴自棄に向かうのか。

今までの社会や政治家がおかしいとなんとなく気づいていたとしても、
社会の型に染まるということで自分を認めてもらい、規範の中心に所属する「安心感」や「仲間外れにされない安定感」を感じていた人

今日から5次元的な新しい価値観の中で生きましょう!」と言われても
今まで「世の中の最善はこうだ」というものを信じこんでその鋳型に嵌ってたのに、すぐにはその鋳型を捨てられませんよね。

今の信じてるものがなんとなく 間違いだと分かっても、
従来 身をささげた価値観でしか生きる場所がない人もいるんですね。その価値観の拠り所に縋りついてる自分を正当化し、生きるのが逃避行動です。

信じてたものが揺らいだ虚無感に苛まれるだけで、これといって新しい生き方や考え方を受け入れられない人は3次元で暮らします。

そういった人たちの受け皿になる場所が必要で それが今までの「○○すべし」の規範や価値観がはっきりしている支配システムが残るところとなっています。その受け皿の役割を3次元が担います。

5次元的な新しい価値観の世界は非常に多様性にあふれるので、

一昔前みたいな 女性なら結婚して子供育てればいいよ、男性なら贅沢はしなくとも安定した職場で一生働けて子供を育てるのが幸せだから それを目指しなさいみたいな

目指すべきゴールがないんですよ。「自由になっていい」と言われても、逆に何を目指せばいいのか分からないんです。

「何を目指せばいいか分からない怖さ」に立ち向かえない人は
上から押し売られた価値観に嵌った自分を貫く方が、
自分一人で「正しいもの」を探さねばならない孤独から抜けられるのです。

自由から逃げた人は他者が押し付ける価値基準に依存し、自分の信じているものを正当化するために 押し付けられた価値感の外にいる人間を小馬鹿する行為で自分を守ります。

例えば「人生の大成功ができなくとも、豊かに暮らせなくても 一生真面目に社会に尽くし平凡に過ごす人こそ 一番立派で幸せだ。」とかの押し売られた価値観がありますよね。「あれ?こんな搾取されてなくてよくない?もっと自分に合った効率的な方法あるくない?」と変に勘ぐったりすせず文句言わずにそう言う生き方をする人を大衆受けする道徳という形で正当化してるから、それ以外の方法を使って幸せになってる人は道徳の外という扱いなんです。

好きなことで生きてたり アフィリエイトなどの不労所得で生きる人 そういう一般的じゃない手段で生きている人を大衆受けする道徳の外に置き
「まっとうな手段で稼ごうとしない」だとか がめつい とか こずるい とかマイナスイメージをくっつけて嫌いますよね。

独立して自由に生きてますみたいな人を映画やアニメとかでかっこいい主人公に仕立てあげて、褒めたたえないじゃないですか。

アリとキリギリスとかのレベルで苦労して稼いでないのは 罰が当たって没落するみたいな悪役イメージをとにかく幼少から抱かせてきますよね

メディアを受け取る庶民はそれを真に受けて

親方日の丸とか社会の善を代表した気分になってる「自称まっとう」な人が、

自分だけの手段でもって自分なりの幸せそうにする人を、「まっとう人間仲間」の外に追いやります。
「まっとう」の中にいる自分を「本当は自分が一番偉い、自分は安全で恵まれている」と思い込んでガス抜きして留飲を降ろしてるのが今の社会ですね。

 

 

「DSや一部のお金持ちが作った支配のシステムがあるからこそ、庶民は楽になったり幸せになれない」のもあるんですが、庶民側は

簡単に楽になったり幸せになってはいけない理由を作ってくれる、システムがあるからこそ 規範通りに生きてるお仲間に囲まれて安心感を得られるし、
自分自身に正当な理由を作り、自分を慰めてあげられる。」のです

急に今までの社会システムや価値の拠り所やガス抜き場が全部無くなったら、自分は何のために生きてたんだ!って自暴自棄になりますよね。

トラさんがきれいさっぱり支配システムを洗い流さず残すのは、支配システムも必要悪だからです。

3次元に行く人は 今までの価値に縋って何も変わってみようと意欲を起こさない人。

5次元に行く人は「システムや社会が提供してきた価値に騙されたな~」と思いながらも、これからは自分で自分の信奉するものを作りそのために生きて自分なりの新たな幸せを探そうと努力できる人です。

3次元の支配者は5次元の人のことを

「あ~あ。あいつら5次元人は<テレビはもう信じない!とか、自分を信用して自分軸で楽しく生きるんだ!>とか宣言しちゃって無謀なことしてるよ。馬鹿な奴だ。あいつらは言うこと聞かない陰謀論者だからほっといて、お利巧な3次元の皆は{まっとう}にテレビを見て予定調和的に生きようね」

というし

5次元の人は3次元の人を

「いつまでも情報も価値観もマスコミに頼って、残念なヒトだな。俺は自分のやりたいことに進んでて楽しいからどうだっていいぜ。お先に幸せになりま~す」

こんな感じで

目指す物 価値観 趣味嗜好がガラッと変わるので とっかかりが無いとか お互いつけ入る余地がないから   みえない壁みたいなものができて2極化するのです。

少し難しかったかもしれませんがイメージつきましたか?

おいおい待てよ!それはおいといて

3次元住人の受け皿となる必要悪のシステムが大事なのはわかったけどトラさんがほっておけば、

調子に乗って支配システムを押し進める悪人側「例えるなら中国やDS」が、日本を滅ぼし 目覚めている5次元の人に攻め入って、

自由な選択肢さえもない 完全に支配して、抑圧と服従だけの世界を作るのでは?

という疑問を残すかと思いますが、3次元の支配者は完全管理&徹底した服従の社会システムとして全員を従わせることや屈服させることまでは望んでないんですよ。

どっかの犯罪学者の話だった気がしますが、あまりにも厳しく管理して一説の自由行動を許さない、凝集力が高すぎる窮屈な世界は、反動も大きいのです。

例えとして適切かは分かりませんが

「俺たちに未来はねえ。どうせ逆らったら殺されるのは分かるけど、上から決められたことしかできない選択権のない社会で 長生きだとしても一生奴隷のように働いて死ぬぐらいなら社会に一矢報いる」

みたいな反逆レジスタンスみたいなのができるんですよ。ロビンフッドとか石川五右衛門が美談として正当化されるように、窮屈な世界では社会に従わない価値観こそがかっこよさのステレオタイプとなってしまっては、逆に権威や支配から離れるし、多くの人がやけくそになって反乱するだけなので、本末転倒なのです。

そして5次元人に3次元への同化主義を進めれば進めるほど、コストが高くなります。同化主義化多文化主義化の移民の話を例えにするべきではないんでしょうが、
例えば19世紀ヨーロッパで植民地支配するときに、元の国の人に我々イギリス文化に染まれ!とやっても、反発がでかいのです。
鎮圧しないといけないし、同化させるためのコストがかかり、「まっとう」奴隷たちをないがしろにしてしまうので、5次元人を完全に言うこと聞かせるのは手間でもあります。

規範を掲げる支配者が上手く集団を動かすには

自分軸で生きます!という人生を選ぶ選択権はあるけども

その自由さを小馬鹿にする 規範というもので「規範の中心に属すことで享受できる刹那的な優越感」や「仲間のいる安心感」をエサにする代わりに 思考停止で生きて働いてもらうのが有難いんです。

 

もし完全に 上から下へ通達されたことしかできない全部強制の社会であれば、「本当は自由が転がってても わざわざ{親方日の丸的なまっとう}の集団に属す心地よさ」が際立たないんですよね。

社会には 規範に属す中心集団属さない周縁部が必要です。強制ばかりではなく 支配が届かない自由さの選択肢が転がってそうな幅がある必要があります。その遊ばせの部分を5次元の人が担当します。
「良い社会である」という認定を受けるには 命令&服従の規範以外の 自由で 華やかで 遊びがある 社会というのを仮初でも演出しなくてはいけないのです。

だから自由さの部分を象徴する少数派の5次元の人」を潰すと逆に支配者が墓穴を掘るというのは さすがの支配者もわかっています。

潰しちゃいけないのは分かってますが
3次元の支配者は3次元人を囲い込むために、しばらくマスメディアで5次元的な生活を謳歌しようとする行為を危ないとあざ笑ったり、失敗談しか取り上げなかったりして、小馬鹿にします。

だから社会が変わることを待っていると機を逃してしまいます。マスメディア内で「まっとう」として取り上げられなくても自分軸で生きれる人であってください。それと安心してほしいのが 密かに3次元人でも5次元人が自分の道に突き進むところをカッコいい!と思ってくれる人もいるみたいです。

価値基準を頼るか 自分で新たな価値基準を作りそこで生きられるかが未来を変えます。

押し売られた価値に騙され続けることで生きる場所を提供してもらう3次元住人

価値も 自分を認める場所も自分で探す必要があるけど、自由を手にして楽しく生きられる5次元住人。(まあ平たく言えば自分が自分を認めることです。)

ここまでが2極化の発生です。

もう一度言いますが 待ってるだけでは5次元にはいけません。5次元に行くには、社会で売られた価値やシステムに騙されずに、自分だけの信奉する価値を作って自分だけの楽しいことを見つけようとする努力ができる人になりましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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